皆さんの中で、京王新線も元は京王線であったこと、さらに、京王線が新宿から初台、幡ヶ谷と地上を走っていたことを覚えている方はどのくらいらっしゃるでしょうか?
私が小学校の低学年まで京王線は地上を走っていて、旧代々木郵便局(今はライオンズマンション)の前には踏み切りがありました。バブルの時代には邸宅がいくつもマンションに建て替わりましたが、その後もマンションは増え続けています。 初代院長の内藤豊助が昭和初期に診療所を始めたときには、周囲に畑がいっぱいあって、豊助も土地を借りて畑仕事をしたそうです。
人力車で往診をしていた時代、二代目院長の内藤徹郎がまだ子供の頃には、スポーツセンターのあたりには狸が出ました。終戦直後、徹郎が千葉大学からの帰りに新宿に降り立つと、あたり一面焼け野原で、そこから初台の焼け残った家屋が見えたそうです。
私や副院長の博邦が初台に生まれてからも、初台はどんどん変わっています。
診療所から昭和15年に病院になってからも、私たちは初台を中心としたこの地域と一緒に歩んできました。そして、これからも一緒に歩んでいきたいと願っています。
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